私が薬学生起業をした理由④職場復帰と再発と現実

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私が薬学生起業をした理由

①生まれてから今日までざざっと
②母の乳癌発覚
大学中退という決断

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大学を中退してから

家庭教師のバイトを10件以上掛け持ちしながら

母の通院日には朝5時から車を走らせ横浜のはしっこにある病院へ

通院に付き添う・・・という日々。

 

 

なんとなく化学療法の効果もでてきて

画像検査ではほとんど腫瘍が見えなくなる程にまで回復

何だか、癌とかへっちゃらなんじゃないか。

そんな楽天的な考えすら浮かんでいました。

 

 

そして、その後母は念願の看護師として職場復帰を果たします。

職場復帰が決まってから私は自分の将来について考え始めます。

私が何よりも大好きな事。

それは『実験すること』

これを仕事にするべく最短コースを探した結果

実験スタッフ(テクスタ)を養成する

東京バイオテクノロジー専門学校へ入学する事に決めました。

 

入学後は何もかもが本当に本当に楽しかったのを覚えています。

毎日毎日実験や化学の授業。

毎日夜中の2時までアルバイトをして、

朝6時に起きて電車に乗って通学しました。

すごい大変だったけどちっとも辛くなかった。

 

 

またしても夏

3学期制だった専門の2回目の試験を控えた日。

なんだか体調が優れない、頭が痛い

そう言っていた母の症状が一気に悪化しました。

頭が痛くて、嘔吐し、床でのたうち回る母に

私は驚き、人生で初めて救急車を呼びました。

病院へ着き、処置をされた母は

驚く程すぐに、回復しました。

一体なんだったのか・・・

医師に宣告されたのは

脳転移

でした。

しかも、体積が小さい小脳の大部分を腫瘍が占めていて

大変危険な状態なので直ぐに開頭手術が必要だと。

 

『がん』という病気をなめていた。

これが『現実』なのか。

 

母娘二人、本当に落ち込みました。

 

さらに追い打ちをかけてきたのが母の勤務先の病院でした。

脳転移したことで、母に通常業務は行えないと判断し

解雇宣告を突きつけてきたのです。

 

私はものすごく憤りを感じました。

母が誰よりも看護師として働く事を生きる目標にしていたことを

病院側の人達は知っているはずでした。

たとえ復帰が不可能だとしても、一方的に解雇を宣告してくるなんて

医療人として理解できませんでした。

 

私は2度目の進学先である専門学校の退学を決め

再び闘病生活へと突入して行きました。

この頃から漠然と、だけどとても巨大な不安の渦が

心の中を漂っていました。

ですが、2度の中退をし、めまぐるしい毎日を過ごしていた私は

気づいた時には誰にも心を開けないような

そんな状態になっていました。

この記事を書いた人

小嶋夕希子(コジゆき)
小嶋夕希子(コジゆき)濱庭球株式会社代表☆薬学5年生
☆国際医療福祉大学薬学部5年生。
☆濱庭球株式会社代表取締役。
☆横須賀出身の28歳

株・投信や不動産で学費・生活費を稼ぎながら現在に至ります。

夫との共通の趣味であるビーチテニスで学生起業し、学業との両立に四苦八苦しながら東京から栃木の大学に通っています。

将来は《薬剤師×食》で事業を起こしたい!と密かに企んでます。

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